【退職エントリ】エンジニアで入社し、ディレクターで退職した話。
どうも、僕です。
すみません、ディレクターの谷口です。
ユニオンネットでサイト制作の企画を考えたり進行管理をしています。
この度、2021年10月末を以て、5年間勤めたこの会社を退職することになりました。
この記事ではその5年間を振り返りつつ、
- これまでの仕事のこと
- これからのキャリアのこと
- ユニオンネットという会社のこと
を綴ってみようと思います。
僕はエンジニアからディレクターに転身したケースなので「こういうキャリアプランもあるのか」と、いつかどこかの誰かの何かになったらいいなと思っています。
それではスタート!
【入社の経緯】SI業界からWeb業界へ
ユニオンネットに入る前は、大阪のシステム開発会社でPGをやっていました。
PLMシステムの開発プロジェクトで、Javaや.NETを使用してプログラムを書いたり、単体テストやら結合テストのパターンを作ったりと、普通にPGでした。
その後、「これ、俺が作ったやつ!」と友達に言える仕事がやりたいと思い、Web業界での転職を試みて、エンジニアとしてユニオンネットへ入社しました。
【入社後】エンジニアとしては、こんな仕事をしていました
2016年の入社から2020年上半期頃まで、エンジニアとしてHTMLとCSSのマークアップ、jsによるアニメーション、WordPressの構築など、フロントエンド周りを経験させてもらいました。
案件数で言うとおそらく80件前後になります。
入社してからは、とにかく実務をガンガンをやってました。
とりあえずやってみる!分からなかったらググる!先輩のコードはパクる!
みたいな感じで仕事を覚えていきました。
今ではもう全然コードを書いたりしていないので偉そうには言えないのですが、「先輩のコードをパクる」というのはめちゃめちゃ大事です。
先人の技術を模倣する。そして自分が得た技術は社内で共有する。
そうすると、今まで時間がかかっていた箇所の対応が効率化される。新たに生まれた時間でまた別の技術を模索する。自分の頭の中だけで知識を保存するのではなく、共有のクラウドストレージに外部保存するイメージでしょうか。
超優秀な後輩がユニオンネットに社内共有wikiを導入してくれたおかげで、今はこの流れが出来ています。その時に自分も技術を共有する重要性に気が付きました。
今も社内ではそういった取り組みが進んでいて、これからもどんどんすごいエンジニアが育っていくことでしょう。
【ディレクターに転身】分からないながらも、大事にしていたこと
3年半ほどエンジニアとして働いた後、僕はディレクターにキャリアチェンジするわけですが、これは何も突然言い出したことではなく、エンジニアとして入社した時から「いつかはディレクターになる」とぼんやり考えていました。
技術的な面でのサイトの作り方や仕組みが分かり始め、コーディングという業務に物足りなさを感じ始めた頃、代表の丸山さんにも「ディレクターやってみたいんすよね」ということをたまに相談するようになりました。
しかし、今まで社内であまり無いことだったので、どういう形でコンバートするか難航しているようでした。
そんな中、色々なご縁があってユニオンネットに高知県馬路村の観光サイトのリニューアルのご相談を頂きました。
代表「谷口くん、これディレクションやってみる?」
谷口「やりますっ!」
まぁ大体こんなノリでディレクターとしての第一歩を踏み出すことになったのでした。
提案書を作ることも、ワイヤーフレームを作ることも、撮影ディレクションをすることも何もかも初めてでした。
とにかく周りに相談しまくっていたと思います。ただ、何も分からないながらも大事にしようと決めていたことが2つありました。
- プロジェクトを牽引する(ただの言いなりにならない)
- プロジェクトメンバーと意見を交換して作る(共創する)
一つ目は、制作物に対して責任を持つということです。
例えば「なぜ、こういうデザイン(仕様)なんですか?」の質問をもらったとして、それに答えられることが制作物への責任を持つこと(=ディレクターの仕事)の前提だと思います。「クライアントに言われたからこうした」と言ってしまえるものは作りたくなかったんです。
調べたり、資料を提供してもらったり、ライティングをやったり、Gナビの並び順や各所の遷移設計もUXを想像しながら悩み倒し、没頭しました。
二つ目は、メンバー全員が自分の作業に責任を持てる仕事をしたかったということです。
実は僕はバンドをやっていて自分で曲を作ったりするのですが、サイト制作はバンドの曲作りとすごく似てるなと感じることがあります。
ディレクターは作曲者。曲作り(企画・構想)をして、デモ音源(WF)を作ります。デモ音源をドラマー・ベーシスト・ギタリスト(デザイナー・エンジニア)に聴いてもらって、表現したいことやその意図を理解してもらう。その上で各メンバーが、「ベースはこうした方が良い」とか「ギターはこんな風に弾きたい」とか考えて、各パートを作っていきます。
もちろんそこで僕が「いやいや、ここのドラムは絶対こうでしょ」と言ったりするんですが、「それするとここの譜割りがおかしくなるから違う」と言われるわけです。作曲者として自分の意見もあるのですが、バンドの音を作るとなるとメンバーの意見をきちんと聞きます。
なぜなら、みんな僕よりもそれぞれの楽器に向き合ってきた人だから。
自分よりもフレーズの引き出しが多い・気持ち良いリズムの作り方を知っているなど、自分に出来ないことが出来るからその人たちとバンドで曲を作るわけです。
…ちょっと長いですね。
要するに「自分がこのプロジェクトのデザイナー/エンジニアなんだ!」と、その人がやってる意味をちゃんと作り出した上で制作したかったんですね。僕たちは基本的に天才じゃないんで、一人で出来ることや考えられることなんか大したことないんです。時間と集合知を使って、地道に、誠実に作っていくしかないんです。
この2点は1年以上経った今でもいつも大事にしています。
それが正解なのか間違いなのかは未だに分からないし、いつ分かるのかも分かりませんが、とりあえず合ってるだろうと信じ、その後もディレクターとして仕事をしてきました。
そう考えると、ディレクターの役割というのは「分からない人に正解を提供する」のではなくて「分からないことに立ち向かって正解を切り拓く」ことなんだろうなと常々思います。
【決意】とりあえず辞めることだけを決める
ディレクターとして働いて1年程経った頃、なんとなく物足りなさを感じ始めました。(また…笑)
サイト制作のお問い合わせを下さったお客様にヒアリングを行う時、「依頼に至った経緯」や「現在の課題」など、いろいろ聞くわけなんですが・・・段々と思い始めるわけです。
「サイトリニューアルするだけで、全部解決できないぞ」と。
そんなこと当たり前なんですけど、実際にお客さんと近い距離で関わるにつれて「もっと包括的にやってあげられたらなぁ・・・」と思うことが増えてきたという感じです。
この記事を書いている今、僕は29歳。来年30歳になる自分にとっては、今がやったことのない領域に手を広げるタイミングだと考えていました。6月頃、そういった考えと一緒に「手持ち案件が落ち着く、10月いっぱいで会社辞める」ということを上司に伝えました。
その先のことは何も決まっていなかったのですが、辞めることを先に選択しないと面倒くさがりの自分は動かないと思ったのです。
【そして転職】株式会社LIGのディレクターになります
退職を決めてからは、とにかく色んな人と仕事についての話をしました。
人とじっくり話すと、「自分が出来ること」や「やりたいこと・考えてること」が自然と自分の口から出てくるから不思議です。大事ですね。
色んな業界・職種の人と話し、自分の中で考えた結果、
- Web領域以外のプロジェクトにも関わりたい
- クリエイティブディレクターとしてのスキルを磨きたい
- 社会全体を見据えた仕事を経験し、視野を広げたい
大きくこの3つが自分がやりたいことだと気づきました。
当初はフリーランスのディレクターとして働く選択肢もあったのですが、「スキルを磨く」ということを考えると、誰かの技を盗む機会が多そうな会社員として働くことにしました。
その上でまた色々な会社の話を聞き、自分の考えていることも全て話し、それを汲んでくれた制作会社の株式会社LIGさんにディレクターとして入社することになりました。
制作にも、キャリアにも、唯一の正解は無い
ここまでこの記事を読んでいただいた方、ありがとうございます。
たまにお客様にも話すのですが、
「こんなサイトを作ったら、売上が150%になります!」
「これをすることでCV率が倍になります!」
この仕事において、そんな絶対はありません。
ただ、僕たち制作者は、良い結果を得るためにそこに向かって模索しながら最良の選択や提案をします。(そもそも「良い結果」が何なのかを一緒に考えることも僕たちの仕事です)
キャリアについても同じように、これまでの自分の選択やこれからの選択が正解かどうか・そもそも正解が何なのかは、極端な話、死ぬ瞬間まで誰にもわかりません。
出来ることと言えば、考えて考えて模索して、今の自分が納得出来る「最良」を選択していくことしかないんじゃないかと思います。
僕自身も自分が今後どうなるかわからないのにこんな記事を書いてるわけです。これも70億人くらいいる人間の中の一人のパターンを共有しているだけで、正解・不正解はわかりません。
冒頭にも書きましたが、僕はこの退職エントリーを読んでいつかどこかの誰かが「こういうキャリアもあるんだな」と、自分と同じ、もしくは違う価値観に触れるきっかけになってくれると嬉しいと思っています。
ということで・・・
えー、
なんか、そのー、
まぁ、ええ感じでやっていきましょう!
最後になりますが、当時24歳何も知らない若造を拾ってくれたユニオンネットという会社、お世話になった先輩・後輩の皆さん、関わっていただいたクライアントの皆さん、本当にありがとうございました!!!
またオフィスの冷蔵庫のビール飲みに行きます!よろしくお願いします!
では👋
次の会社でも頑張れぇー!
この記事を描いたひと
株式会社ユニオンネットのスタッフ。
https://www.unionnet.jp/company/#staff